■日米振付家交換レジデンシープロジェクト
3/03sun. 
メキシコからUS/Philadelphiaへ。徹夜明け。私の大好きな薄紫色のハカランダの花が咲き乱れる朝焼けのメキシコ・シティ。まだ紙屑ひとつ落ちていない無人の幹線道路は、奇跡的にクリーン。快適に飛ばして空港へ、チェックインは靴底まで調べる。
ダラス経由でUS入国、また靴を脱いで、乗り継ぐ。4時半フィラデルフィアへ到着。8時半ホテルのロビーに集合する、京都からのヤザキ君とは昨年秋の前橋芸術祭以来の対面。私は彼の踊りをまだ見たことがない。Choreographers-Exchangeのアメリカ人たちとは握手しただけ、名前もまだこれから覚える。

3/04mon. 
朝食後、ホテルの部屋をNo SmokingからSmokingに変えてもらうが、ベッドのない部屋に通された!そのうえ、インターネットの接続にまだ成功していないのに、昨夜の電話代35ドルを請求された。なんたるホテル!こんなのはじめて!(しかしこれはマネージャーと話してすぐ解決。)
11時TAXIでHeadlongの稽古場。11時半HeadlongがリードをとるWSが始まる。エアロビクスみたいなWarming upの後、「Improvisation Structure」(Andrewが英語で紹介しているように、45秒ごと音楽に間を入れて次々にImprovisationのイニシアティブを移して行く、あらかじめ順番は決めておく)を皆でやる。私は2回目から入る。通訳でPhila在住のダンサーRokoさんも参加。5分休憩の後、彼等の新作のコンセプト(Pop cultureの地獄?)に添って4つのグループに分かれ創作のエチュード。なんだか手順が良すぎる気がするが、HeadlongのDavidと組んで「Calvin Kleinの広告写真」からDuetを作って踊る。共同作業で少し皆の気持が和んだ。夜はAndrewの家に集まって食事。

3/05tue. 
9時半TAXIでHeadlongの稽古場、「Parlor」と云う。80年代以降稽古場なしでやってきた私にとっては、自分たちの稽古場があるのはやはり羨ましいかぎりです。なにしろ好きに企画でき、好きな時間に稽古でき、人を呼べる。
Sara Pearson, Patrick Widrig リードのWS10:00-13:00。Saraの床を基本の柔らかいWarm upから立ちのポジションでのImprovisationへ自然に移行して全部で1時間。
5分休憩後、別のアイデア「Change」(2人/複数で組み、交互に「Change !」と声に出しながらポジションを移動、コンタクトする)。サラの簡易なアイデアは意外にヒットだった。「Change」の声は複数、声が動きとのあいだにすき間とズレをもたらし交流させる。ズレの快楽が際立つコンタクトになる。ヤザキ&サラ、Ko&Roko、Patrick,Andrew &Davidが組み、それぞれに面白かったのは、初対面の「愉快」がダンサーたちから伝わってきたからか。
すでに1時を回り、外に出ると寒い。サラ腰が悪く、立って歩くのもシンドそう。タクシー待ちの交差点では信号機のボックスに腰掛けるので、私が「何という病気?」と聞くと「Oldness」というので4人の年齢が分かった。タクシーの中、ニホン語の同音異語を教えるとサラが即座に「I eat by the chopsticks at the edge of bridge」、「美味い,上手い」!
3時半スケジュールに組まれたStudio Visiting、Leah Stein Dance Companyの創作中の稽古を見学。「コンタクト?」。通訳のRokoさんも踊っているが・・・。帰り、ヤザキと酒を買う。健康のためにテキーラ 「el Jimador」。ヤザキ腹が減ったと言うので少し早いが中華で夕食、パリの中華とくらべてパリに軍配、煙草も自由だし・・・。レストラン禁煙、コーヒーショップ禁煙、ホテル禁煙、煙草5ドル、私も禁煙・・・これは無理、無理、それでも少し煙草は減るかも。ホテル近くに活気のあるCafeを見つけた、喫煙OKなので早速今日の禁煙分を満喫してしまった。

3/06wed. 
3/07thu.
 
Temple University Dance Dept.,での私のGuest Teaching 11:40-1pm。ヤザキ、パトリック、Rokoさん参加する、サラはお休み。Marieさん通訳に来るが、通訳なしでやる。若い学生たちなのでWarm upのメニューで30分、ティテレ=ティティリテロ(人形=人形遣い)で20分、水の歩行で20分。皆、きつかった、と言う。
地下鉄でHeadlongの稽古場へ、2時半からヤザキのリードで2時間のスタジオタイム。
やさしい柔軟とブレイクダンス風の動きで、andrew, patrick, ko, saraの順でソロをやってみる。夜はandrewの家で互いのビデオを見る。

3/08fri. 
10:00 at the Bride, All artist meeting with Madison Cairo Tech.Dir.11:30 at the Painted Bride, Meet with Nick Stuccio, Director Phila. FringeFestival1:30 Visit C.E.C./Kumquat, Meet Director Teri Cousar Shockley,

2:30 Renny Harris(Hip Hop), 全米No.1のヒップホップのダンサー/コレオグラファー、彼のリハーサルが見られるのかと思ったら、お話であった。・・・黒人文化の「ヒストリー」についていろいろ語られても、それを「語らぬ」肉体が、その「肉体」なのだった。その「肉体」は時間・歴史に刻々と略奪される。だから語る、語らぬ肉体の沈黙に届くように、それを贈り届けるように「語らねば」・・・。
痛みについて人はその真実を語ることが出来ない。<近づけば近づくほど遠ざかる近さ>、それが肉体であろう。そこに立ち上がる<感受性>の、「とどかぬ」痛みの共感こそが愛の、行為。私は格別アメリカのブラック・ミュージックを愛していた。彼らと一緒に私は踊り始めたようなものだ・・・。
私は「アメリカ」を愛している。私の傷へ深く届くように私を傷つけた「アメリカ」を愛している。
しかしいま、饒舌にアメリカが私に語り出す。

3:300 Observe Group Motion rehaersal and meet company

「コンタクト・インプロヴィゼーション」から振付けているのだが、どうも・・・他者の身体への接触に日頃のわたしたちはもう少し繊細で鋭敏なはずでは・・・。<彼らは触れることから始める、わたしたちニホン人は触れるのをためらうところから始める?>と接触文化の違いに話を還元はできない。私のコンタクトは誰にも帰属しない。何処の国にも文化にも帰属できない・・・それを代表しない。ディアスポラなコンタクト。ブトーも初発においてディアスポラの、根を断たれた(コンタクトの)実験であった。
サラにContact Improvisationのperformanceをどうみるか聞いてみる。サラ云わく「良いものはほんとうに繊細にスキンにこだわる」と言うが、未だお目にかからぬ。
よく踊られたタンゴや50sのジルバを見ているのが好きだ。
天気が良いのでRittenhouse Squareの公園のベンチにヤザキと腰をおろして小1時間、こどもたちと遊ぶリスや犬たち、恋人たちや小鳥たちを眺めながら語らう。ホテルにいったん戻る。NYの塩谷宛メール受信の返信。
               6:00 Headlong showing new work at the Parlor
               7:00 pre-show conversation with Randy Swartz, Dance
Celebration Director
               8:00 Performance Washington Ballet(Cuba project) at Annenberg
Center/Penn
                      Univ. Theater
3/09sat. 
12:00-5:00pm US/Japan Encounter in Dance Workshop。四者合同でするワークショップ。生徒は5時間通して受ける。前半のテーマを「息」、後半のテーマは「ソロ」。1番手はサラ&パトリック、一緒に受ける。サラのWSは手慣れている、気持ちもある。しかし長引いて2:30までやった。引き継いで2番手はKo、座った位置から「息」で始める。息とWaveのコントロール。「息+Wave」で歩く、左右の揺らぐバランス。息を盗む。最後は水のバランス。ちょうど1時間。3番手ヤザキ、4番手Headlongで5時終了。疲れる混ぜ合わせ、生徒たちも先生も。Roko+Arianiとインド・カレーを食べ、一緒に8pm performance at CEC、これもちょっと辛かった。

3/10sun. 
日曜だがパフォーマンス鑑賞のスケジュール。The Kimmel Center of PerformingArtsで Mark Morris Companyを見る。いま全米でいちばん稼いでいるコンテンポラリイの振付家だそうな、「軽い」に尽きる。回りは「金儲け」と圧倒的に批判的でしたが、私は軽快に踊る身体が好きだ。
少なくとも「踊るカラダ」に徹している。腹を突き出した中年のダンサーがマーク自身であった。

3/11mon. 
10am-2pm 劇場で「Edge - Philadelphia」の仕込み。Madison Cairoが照明・音。ニューヨークから到着したDTWのZack、Japan Societyの塩谷陽子さんとはじめて会見。NYのスケジュールについての説明を聞く。
Saraが「9.11」からちょうど6ヶ月の「Light up」のTV中継があると教えてくれる。部屋のテレビを始めて点ける。Connie Francis、Behind of the music、ノーマ・ジーン・・・思いがけず見てしまった、寝不足。

3/12 tue. 
小雨、寒い休日。Barnes&Noble Booksellersをのぞく、2冊購入。

3/13 wed. 
 歯痛がする。ヤザキとサラダを買いタクシーでテアトルへ。昨日の休日は植物園行きの同行を私は降りたのだが、Rokoさんとヤザキは予定をフィラデルフィア美術館に変更、でデュシャンのコレクションを見たらしい。「それは当たり」と口惜しがる私。
 5時からキッカケのリハーサル。HeadlongがCollective Improvisationを提案して、やることに、Rokoさんもゲストで参加。Andrewから痛み止めを2錠もらって飲む、よく効いた。
8時Dress rehearsal、銀塗る。
ソデからAndrew,David &Nicoのリハを見たがサラ&パトリック同様喋りが多い。
80年代語り芸・パフォーマンスからの流れ?・・・そこになぜ「ダンス」?

3/14 thu. 
Painted Bride Art Center -初日。小屋入り前、タクシーを飛ばして、Phiradelphia Museumへ。デュシャンのコレクション。遺作の「沈黙」と「ノイズ」の絶妙の混ざり合い・・・幸せな気分で3回も覗いてた。「独身者の花嫁」のガラスは見事にヒビ割れていた!(これは今夜の自分の踊りに確実に共鳴。)
「Edge-Philadelphia」を4番目(トリ)で踊る。中間にArtist Exchangeの全員にゲスト3人加えた「Collective Improvisation」がある、間を盗んで上手から下手へ走り抜けると受けておりました。
自分のソロは、匿名の喉、声の、ニホン語と英語のバランスが良かったと自己評価。
しかし、無明の喉をついて出たのは、なぜか死んだ妹の「名」であった。「Just as the edge of Philadelphia !!」の声を背に、劇場にシャワーがないのでホテルへ直行、銀を落とす。

3/15 fri. 
2日目。今夜は少し急いていました。Philaのdutv ( Drexel UniversityのCable cultural educational tv.) が撮っていた。NYから観に来たJapan Societyのポーラさんが感激してくれている。塩谷さんとは私のニューヨーク大学のWSについて打合せ。DavidとAndrewのパーティに誘われ、行きたいのだがホテルで銀を落とすと遅くなるから行けない。ヤザキ氏のパフォーマンスをソデから覗いたが前半よく見えなかった。後半ようやくせつなくなると終わった。

3/16 sat. 
3日目、楽で客席もフル、Techも他のパフォーマンスも皆今夜がベスト。自分は初日がベスト。で、シアターのカフェでお別れの軽いビュッフェ、素晴らしい感想をいっぱいありがとう。WSの生徒たち、Marieさん、Rokoさん、女優のMagie、Christineと彼氏のMathew・・・皆若い。
「great void in your center, of your body !」「Metaphisic !」・・・青空の、空っぽの器と交流のことですね。「ニューヨーカーたちは、あなたのパフォーマンスからナイン・イレブンを想起することでしょう」、シアターの外へ出て一服、若いダンサーたちと話す、Painted Bride Art CenterはPhilaの「フリンジ・フェスティバル」と組んだオルタナティブ、ニューヨークの前にこうしたローカリティに触れることが出来て良かったのかな・・・そう思いながら、もう一服。サラ&パトリックにさんざんデリシャスなニホン語を教えながら帰る。

3/17 sun. 
NYCへRokoさんの運転で移動。昨夜はテキーラを飲みながら荷詰め、あまり寝ていないので眠いが車のなかいろいろ喋っているうちすぐに「自由の女神」が姿を現す、私はツインタワー消失以前のこの眺めを知らない。中華街のある南からマンハッタンへ入る、2時間で到着。Rokoさんと再会を約してサヨウナラ。
さて「宿」が問題だ。DTWのZackがチェックインに付き合い、私が部屋のあまりの「狭さ」に驚いている間もなくそそくさと去った。トイレ、水場は部屋になく、廊下の先で共同。「なんだこのPhilaとのギャップ?!」と怒りながらひとまずベットにうつ伏せ・・・・JCDN宛メールを打っておく。

3/18 mon. 
宿の件でJcdnからメールが入っている。ヤザキ氏起きてきて案の定、道路の騒音で寝不足、「ホテル変わりたいですよ」(昨日は「僕はこれでいいですよ」と言っていた)。サラ&パトリックが迎えに来てZackへ宿の件電話する。
雨でタクシーが拾えずバスに乗って「ジャパン・ソサエティ」へ、Andrewが先に来ている。早速舞台を使ってのスタジオワーク。リードは私の順番で10:00-12:30。私の「舞踏」クラスに皆、途惑いながら?<集中>を余儀なくされた。
昼食とNYでの初顔合わせ。Davidを除いたArtist 5人とDTWのZack、Japan Societyから塩谷さん、宮井さん、平野さん。宿の件はまず処理されて、最新のスケジュールを確認後、早速すぐ近くのACCへSupportの御礼・挨拶に行く。DirecterのRalph Samuelson氏。JSへ戻りスケジュールの詳細。塩谷さんから彼女の著書『ニューヨーク - 芸術家と共存する街』のプレゼント、有難く頂戴する。雨の中、ホテルの引越し、45th Streetへ移る。ひとまずホッとする。
7時宮井氏迎えに来て、地下鉄でJudoson ChurchのDanceを見に行く。広い教会の床に客が150人位。「Edge」というタイトルの若い女性の作品があった・・・。

3/19 tue. 
9時から Professsional Performing Arts High Schoolでのヤザキのクラス、私は観察。
12:30-2:30 Studio Time、つづいて私がやる。通訳に入ったOgawa Ayaさん、宮井氏と話す。夜、ヤザキと連れ立ってリンカーン・センターのシアターへ2000年のTony賞だという「Contact」、自腹で期待して最悪、ヤザキは途中で寝ていた。Dionの「Run around Sue」、Bobby Darinの「Beyond the sea」*と好きな曲が2曲続けて来た時も・・・「これはないでしょ!」という踊りであった。口惜しいからタクシー飛ばしてグリニッジ・ヴィレッジへ、「Village Vanguard」の女性ヴォーカルはやめて、寒風のなか「Chicago Blues」を探して歩き、ようやく見つければ、これが潰れてた!
42st.の「B.B.King」へたどり着くと、Boogie 1曲で終演とあいなった。ツカナイ一日であった!
*Bobby Darinなんて知らない人は知らなくてもいいのだけど、メキシコで「Things」のリメイクがヒット中で、イギリスのR.Williamsという歌手がBobby Darinのヒット曲から3曲もやっているのを聴いてきたばかり。このシャルル・トレネのシャンソン「ラ・メール」をロックンロールにアレンジした「海の彼方に」はスタンダードの値打ちがあるのになあ、と昔から思っていたので、それにボビーの曲を3曲も、「匕首マッキー」までやっているんだから当然買ってしまった。勿論オリジナルに敵わないけど。
フィラデルフィアで一日だけ付けたTVのCNNでは、ツイン・タワーのライト・アップに挟んで「コニー・フランシスの悲劇的ライフ」なんてやっていて、年老いたコニー自身がインタビューに彼女の悲劇的生涯を語るのだが、ここでも彼女がボビー・ダーリンのことを回想してた。彼女の絶頂期に、「Mack the Knife」で絶頂期のボビーと恋仲で、それがコニーもボビーも互いに初恋みたいなもんだったけれど(なんて知らなかった。コニーは「恋の片道切符」のニール・セダカを振ったわけだ。それで「片道切符」のドーナツ盤のB面は「オー・キャロル(・キング)」というわけであった、どうでもよいが。)、コニーの父親が実娘をレイプしちゃうヒドイ父親で、二人で仲良く出演中のテレビ局へやって来て、ライフル構えて「別れろ!」とやられた云々・・・失礼、昔、夭折したBobby Darinのファンだったから彼の曲のリメイクがもっと聴きたいのでした。因みに「ダーリンいいけど、歌上手くないよ」ッて貶した奴ラは、一人は墓場に安らかに眠りにつき、一人はリハビリのホスピタルで虫の息だ、なんて。

3/20 wed. 
休日。雨のニューヨーク。抜歯。朝一番サラに彼女のかかりつけの歯医者へ連れて行ってもらう。抜歯!ニューヨークで歯を抜くことになるとは思わなかった、300ドル高い。ホテルに戻りクスリをのみ、処方に従い氷で冷やす。おとなしくしている。

3/21 thu. 
朝10:00-12:30スタジオワーク、私がリード、通訳Ayaさん。はかなさとは色気である云々・・・。私の抜いた歯の痕跡こそ、はかなくも酷いその色気でひりついているのでしたが・・・
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「ほう」とは「切断」である、時間の切断である。
堰き止められた時間、切り取られた時間の、その断面に現われ、振るえているのがイノチのカタチである。カタチというのは「ある堰き止められた時間」のようであり、イノチは「流動」である、としよう。

時間の断面に「エッジ」が立ち、ふるえているものが「はかない」のは、それが瞬間、時間を堰き止めたまま、静止したかのように「際立つ」からだが、なにがそうして際立つのか?
去勢されたチカラの、その切り取られた<瑞々しさ>であろう。それをむかしのニホン語では「色」と呼んだり、「色気」と言ったりする、という話からはじまった。芸能ではそれを「花」と呼んだりもするだろう。

「ほう」というのは、私が折口信夫の「ほうとする話」から引いたもので、いまではよく覚えていないのだが、短いテキストで、折口の懐郷性がアニミスティックな宇宙性において語られたものだ。那智の滝から遠くまばゆい蒼空と真っ青の海を眺め、「ほうとする話」。
<原郷>とそれは書かれていた。

それは故郷へのノスタルジーをはるかに超えている。宇宙的な懐郷を言っているのであろう・・・。
たったひとり!帰る故郷をもたぬまま、すでに<いま・ここ>がふるさとで「あった」、既視感、孤児性の。力の虚脱と空無を襲う「絶対的な近さ・親密さ」、<外>へ出た力・感情のこと・・・・
この「絶対的な近さ・親密さ」にあるものが<肉体>であるだろう。それは、近づけば近づくほど遠ざかる近さだ。
その限りのない回帰の繰り返し。呆気の境、なんと言えばよいのか、非知の、無垢なる生成に直かに触れている驚き、それが「ほう」、知らぬ間にクチビルが半開きになる、あほうのほうである。

カタチとイノチがせめぎあう間の果敢なさ、イノチにカタチを吹き込むのは、さてなんなのか?「妙・奇妙!」というスペクタクル・・・、「驚き」、他者との遭遇の体験である。一瞬かよわいイノチの鼓動が止まる・・・脈拍が乱れる。カタチは崩れ、カタチが穫れる。イノチの流動がカタチの上に焼きついたかのよう・・・そして、ふたたびカタチは緩み、ほどけ、そうして私にシワがよる。ホトケのような皺がよる。

それは「痛み」であるだろう。痛みと弛緩であろう。それが「歓喜」であろうと、それは痛みと弛緩を通して私の皮膚に新たな傷をつける。

受苦と受苦からのリリースのプロセス、その終わることのないくりかえし!

私が際立つ「色」のはかなさにこだわったのは、それがあくまでもエロティックな切断と変様の体験であり、自己消失のさなかに為される「人生=色」からの離脱・超越の体験だからだ。
そして、さらに私がこだわるのは、それが人生を超越するようにしながら、「その縁(エッジ)のふるえにふみとどまる」、ふるえと変容のプロセスの体験だということ。・・・・・色は色を脱し、漂白し,透明化し、また色へと返ってくる。回帰し、とどまるのだ。途上に、彷徨の途上に、縁に。それが見えない肉体の時間=痕跡であり、シミなのだ。
そこにはいつも・すでに「他」の力が介入している、「他者の顔」が映され、浸透している。
私の皮膚は奪われながらある快楽である。いつ自分にシミが出来たのか知らぬ間に、私は私の死を迎えているだろう。
私とは痕跡である。何の痕跡なのか?小さないくつもの持続する死の、不眠のなかの休息の。
私の皺を私は自分で付けるわけにはゆかない。それで私は他者に皺をよせるのだ。それは私のではない。それは私と他者の出会いの、その褶曲から贈りとどけられた皺である。
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終わって、痛み止めをのみながらVisitingの強行軍。

Meet with Ellen Stuwart at "La Mama"、
メキシコの友だち、前衛演出家アブラハム・オセランスキーを思い出す。アブラハムもここで寺山修司の「奴婢訓」を観た。彼は「あれが自分にとってのブトーの初見だったよ」と言う。彼は、メキシコ戦後演劇の父と云われた佐野碩晩年の薫陶も受けていた。現在まで続く私のメキシコとの絡み合いは、彼のヴェラクルス州のスタジオにWSのために招かれたのがはじまりだ。ローラもディアナもラウルもロドリゴも皆そこにやって来た・・・。

Laurie Uprichard at "Danspace Project" at St. Mark's Church、
Mark Russel at "PS 122"、
サラ&パトリックのアパートで軽い食事をとり、Duke Theater、 42nd Street、DTWのプログラムDonna Uchizonoのパフォーマンスを見る、
劇場は昨日の「B.B.King」の隣り。ダンスはオモロウナイ。外へ出ると北風に凍えた。ジャパン・ソサエティの道子さん、ヤザキとMarriotのラウンジ「The View」からツイン・タワーの抜けた摩天楼を眺めながらカクテルを飲んで帰ホテル。

3/22 fri. 
寒い朝。バスで行く。10:00-12:30サラのリードでWarm upとImprovisation、Andrewは正午で抜ける。Zackが来て、Meeting、PhilaとNYでの違いが話題に。宮井氏、AlisonさんとTech打合せ、私はシンプル、すぐ済んで塩谷さんと立ち話。ひとりジャパン・ソサエティの4階キッチンへ行きコーヒーといっしょにテーブルのおやつをつまみ食い。オフィスのキッチン、禁煙だけどなんだか妙にリラックス。Subway Fでブルックリンへ、コミュニティとアーティストの交流、パフォーマンス・アートのソサエティへの還元。community engagement activity/Brooklyn Art Exchangeの観察。子どもたちのアクロバット・パフォーマンス教育プロジェクトを見る、子どもたちが本当に可愛く、せつない・・・。風邪気味、夜の大人のダンスは見に行かない。

3/23 sat. 
オープンWSの一日。バスで行く。サラ&パトリックのWSを客席からObservation。JSの陽子さん、道子さんも参加している。サラ&パトリックのリードは巧み。片足の男性がひとり、素晴らしい動きを見せていた。終了して、道子さんが片足の彼がつづけて私のクラスも受けたいと言っているが良いか、訊きにくる。了解。
WSは「ブトー人気」?定員オーバーの受講者のなかには「ブトー家」を名乗る女性も2人。「ブトー・セラピスト」という人もいた。通訳はAyaさん。陽子さん、道子さんも続けて受けている。ステージからはみ出して落ちないよう気をつけて、最初に呼吸のコントロールと集中。子どもの息から老人の息、エレメントへと「連続するトランスフォーメーション」を呼吸をいかしてやってみる。次にFragileな「砂でできたプレゼント」、はかない「かたち」になったまま、ステージ奥からエッジまで歩く、「プレゼントになる」。エッジで考える・・・誰もいない客席へ「現在」はプレゼント?!(ヤザキ中央最上席にひとり演出家みたいに座って観ていた)誰かが砂の重みを抱えて困って笑っている・・・これで決まり、砂をカスケードしながら全員「哄笑」のフィニッシュ!

夜はSubwayを乗り継いでハーレムのAaron Davis Hallへ「Ailey II」のパフォーマンスを観に行く。黄色いパンツのニホン人が黒い人と踊ると目立つ、際立つ・・・なにが彼を際立たせるのか。短足胴長?彼の他を圧するスピード?その両方だが、際立って異質なのは、彼のスピードが直線的なのだ。「うねり」や「カーヴ」というものが省略されているかに見える?「うねり」がなければグル―ヴがない!うねるリズムを殺したときでも踊る直線は曲線である。(確かにこの夜、このニホン人にかなうスピード感で踊るダンサーがほかにいなかった。いればそのスピードの質がいかに違うかがもっと明瞭に見えたであろう。)まるでカンフー家が一人モダン・ダンスに交ざっているかのようであった。しかしブルース・リーはうねる。うなりをあげてうねる。しかし彼をブルースと比べても仕様もない。彼は素晴らしいダンサーです、夢さん。

3/24 sun. 
JSでのWSは、ヤザキ、Headlongで、私は今日は休み。部屋のゴミを片付け、洗濯もする。メールも書かなきゃ・・・

3/25 mon. 
今日は全員休日。MoMAへ塩谷さん推奨のGerhard Richter特別展を見に行く。リヒター大変素晴らしかった。常設のコレクションは、これもあれもアッた、アッた、アッたという感じ(歴史的になった現代アートの傑作が教科書をめくるみたいに次々と並ぶのはヘンな感じ)。フィラデルフィア美術館からつづいてのサイ・トゥオンブリがよいと思う。
ツイン・タワー跡を見に行く。塀で囲われて中は見られない(お立ち台というのがあるらしく、あらかじめ整理券を取得しておかなければならない)。ちょうど暮れなずむ、悲愁!

3/26 tue. 
3:00-4:00[Joice Soho] 小劇場付の良いスタジオで印象に残る。
RonBrownのリハーサルを見学。ロンが「危うさとエッジ」を強調しながら振付ける。振付けは始まったばかりで音楽もまだなし、ダンサーたちもまだまだ。しかしつまらない振付けもロンが動けば圧倒的な黒のグルーヴがうねる、それだけでスペクタクルだ。女の子で一人素晴らしいのがいた・・・ヤザキがロンのキャリアを解説して
くれる。
 4:30-6:00 [DTW Office], 8:00 [Joice Theater] Urban Tap。エンターテインメント、OK、楽しかったが、そこまで。皆で1杯やってメトロへ向けて歩くと、京都から着いたばかりの佐東氏とバッタリ、歓迎でもう1軒ハシゴ。

3/27 wed. 
10:00-12:00 Debriefing/strategizing Kyoto phase with Sato.
1:00-2:30 Observe J.Jasperse Rehearsal at BAM には参加せず、3:30-5:30 Ko Murobushi Class at NYU.の前に佐東氏とカフェで、「Exchange」のここまでの経過など雑談。

3/28 thu. 
私のリハーサルが朝いちばんで、7:40宮井氏迎えに来てくれて、タクシーでJapan Societyへ、朝食を買って行く。
8:30-10:00 1番手でRehearsal/run through、照明はAlisonさん。いったんホテルへ戻る。途中CDを1枚。
4:00-5:00 Salon Performance。客席に2、30人。
5:00-6:00 Reception。ポーラの真摯な批評を聴く。嬉しい。(が、今日はどういう客だったのか?)
6;00-8:00 Dinner at Pangea。インド料理。

3/29 fri. 
1:30-3:30 Tish Symposium at NYU。ポーラの司会、通訳をAyaさんと道子さん。
HeadlongからはDavidが一人、あとは皆参加。
迷子の話。孤児の時間。時間の外へとかどわかされ、かどわかす話がしたかったのだ。
佐東氏のビデオにすべて収められている。終わって佐東氏とカフェで昨日のSalon Perfornanceのヴィデオから写真を選ぶ。Digitalの即効性。

Symposiumのプログラムに「1970 Ko Murobushi became a "yamabushi"(mountain
priest), practicing ascetic life and shamanism for two years.」とあった。マチガイではないのだが、実際、私は山伏の初度位で「春恵」という名も頂戴したが、2年まるまる山に篭っていたわけではない。出羽三山の「春の峰」「秋の峰」に2年に亘って入峰した。一般参加が可能であった。私が外国へ出てからは、外国人の参加者が殺到している、というのを聞いたことがあった。
密教の行者になろうと考えていたわけではない・・・山伏の面白さは、これもまた「Edge」なのだが、聖にも俗にも帰属しないまま、その<間>、ボーダーのすき間を行き、「千の顔」をもつところだ。その遊行する遊牧性は、時にいかがわしく(正統な異端だ)、両義的で逃走的だ。・・・面白い人物に出会ったら、そのまま付こうかと期待していたのかもしれないが、出会わなかった。すでに土方巽に出会い、アスベスト館で一年以上寝食ともに過ごした直後、三島由紀夫クーデターの年のことであった。踊らずに、踊りについて、「踊らず踊る踊り」について考えたかったのだ。力からの逸脱、自ら去勢する身体について、いまだ「窒息行」を続けているかのような木乃伊たちの「傍ら」で考えたかった。

夜は、Duke Theater、Andrea Klein /Yasmeen Godder at DTW を見る。ホテル近くのレストランで佐東、陽子さんとニホン人だけで呑みながら今日までの経過と京都についておしゃべり。いよいよ明日がUSの「楽」となった。 

3/30 sat. 
1:00からフォト・コール、3:30から通し。本番7:00から、私の出番はトリで10:00に近くなる。無事終了。レセプションの後、打ち上げは近くの日本料理屋で。

3/31 sun. 
写真家のPeggy Kaplanから朝電話があり、ポートレートの撮影に行く。

4/01 mon. 
朝7時タクシーでLa Guardia、10:25のAA、ダラス経由でMexico Cityに夜7時半着。
ラロが迎えに来ていて驚いた。Hotel Lisboaに入る。

 <旅とは、切断である。あなたからの質問を残して、わたしは発つ。答えはじめたばかりでわたしは、それを断たねばならない。旅は、流れを中断する流れ。それは、逸脱する接続(出会い)である。未了の旅の先に未了の旅が待っている。>










日誌から  by 室伏鴻

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